護身術・脳トレ・全身運動健康法の「なわて武術瞑想教室」

楠流護身武術

楠流護身武術  

人類の歴史とは、暴力と、
それを克服しようとする
努力の歴史である。

人類を他の動物と分けたのは、
弱肉強食の暴力的世界から
脱却しようとする意志と言える。

その意志がなければ、
人類はただ小賢しいだけの
動物の一種に過ぎない。

数千数百年の歴史の中で、
不特定個人や弱者も
尊重される社会システムが
研究、改良され、

その最新システムを
擁する国の一つとして、
現代の日本がある。

しかし、世界で最も治安が良い
と言われる現代日本においてさえ
残念ながらまだ、
理不尽な暴力は存在する。

我々がより人間的であろうとする時、
暴力を振るわないことは
言うまでもなく、

振るわせないための
努力も必要なのだ。

この楠流護身武術は、
伝統的な内家拳系
中国武術を基礎とし、

日本の古流武術や
現代格闘術の諸要素の中から、
多忙な現代日本人にも取り組めて、

護身の原理原則に沿う
訓練法のみを抽出して
まとめたものである。

つまり、護身武「術」とは
言うものの、実のところ
伝えているのは
訓練法のみであり、

「術」は個々の取り組みに応じた
結果として身につくものに過ぎず、
そこに特定の形はない。

その一方で、楠流護身武術
攻防一致の技術体系を持つ。

全ての動きにおいて、
防御のみ、もしくは
攻撃のみである瞬間が
あってはならない。

なぜなら防御のみになれば
敵を調子づかせたり
フェイントに引っ掛けられる
恐れが増し、

逆に攻撃のみになれば
手痛いカウンターを
まともに喰らったり、

攻撃をすかされて
裏を取られたりする
恐れがあるからだ。

スポーツと違い、
一回の失敗が文字通り

命取りとなりかねない
護身の現場においては、
どちらも避けなければならない。

最悪迎撃が失敗したとしても、
防御を失敗してはならないのである。

そのためには、攻防一致の
構えと動きを考えずに出せるよう、
訓練を積んでおくしかない。

楠流を学ぶ上で
最も大切なことは
「継続」である。

どのような素晴らしい
技を持つ武術であっても、
いやむしろ素晴らしい
武術であればあるほど、

少し練習したくらいでは
大した意味を持たない。

無意識に無理なく
全身全霊を瞬間的に
一致させた技でなければ
大した力にはならず、

それならば筋力や
根性だけのほうが
まだマシである。

心身の潜在力を
危機回避の技として
活用するには、

日常生活の全ての動作を
訓練として
意識しなければならない。

立つこと、歩くこと、
座ること、寝ること・・・

一人稽古はいつでも何処でも
いくらでもできる。

意識し続けられる
時間の長さに応じて、
得られる技術レベルは変わる。

それは体格や運動能力、
性別、始めた年齢、
それまでの経験などは
一切関係ない。

イメージを使うことで、
訓練の質は無限に高められる。

じっくり取り組める
時間が少ない人でも、
イメージを使えば
効果的な一人稽古が出来る。

しかし一人稽古だけでは
実際に有効な動きかどうかは
確認できない。

したがって楠流では
自由組手での検証を重視する。

特に、他流の格闘技経験者との
自由組手は重要である。

しかし攻防一致の構えと
動きができないうちに、
闇雲に自由組手をさせてはならない。

耐え難い苦痛を味わい、
恐怖などで継続できなくなる恐れが
強いからである。

またスポーツ的な、
勝利を目的とする試合も
するべきではない。

護身武術においては、
一時の勝敗など
大した意味を持たない。

むしろ、試合のルール内で
勝利を目指せば
禁じ手への対応が疎かになり、
本来の目標は遠ざかるであろう。

単なる体力による強さは、
年齢とともに衰えていく。

対して楠流は年齢や
体力に応じて
無理なく継続することにより、

生涯に亘って
強くなり続けることができる。

護身武術における強さとは
勝つことではなく、
負けずに継続することである。

誰にでも不遇、逆境の時はある。

しかしそこで諦めず、
少しでも善くあろう、
善くしようとする意志こそ、
真の強さではないだろうか。

真の強さを追求する
全ての人に楠流護身武術
活用していただければ幸甚である。

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